教える…のではなく

2007.08.27 Mon

アクアグライド

幼児期、3歳頃から小学校低学年にかけて、運動能力を発達させるためには
神経を刺激するような動きを、反復させるのがいい・・・・そう言われています。
筋肉や関節を動かす神経を刺激してやると幼児期のそれはそのメモリーに
しっかりとインプリされていきます。
基本的な体の動きを、神経が覚えていくわけです。
例えば「ボールを投げる」「ボールを蹴る」などです。
幼児期に「投げる」という動作を神経が覚えていないと、少し大きくなってからでは
それが少し難しい動作に感じられてしまいます・・・・・。

キャッチボールやボールキックなど、幼い頃から父親とすることには
そんな意味も実はあるんだと、父親になってから知りました。
でもそんな効果があってもなくても、幼い息子とするキャッチボールは
例えようもなく楽しいものです。

ぼくは息子と遊ぶとき、気をつけることがあります。
それは例えキャッチボールにしても、「教える」というスタンスでそれをしないということです。
もちろん、海で遊ぶときは自分の身を守ることについては、何度もくどく、言い続けますが・・。
ライフジャケットのつけかた、ヨットの上でのルール・・・・・・。
でもそれは「教える」というのではなく「伝える」に近く・・・。
問題は「目線」の高さです・・・。

遊ぶとき、ぼくは彼の友達です。
同じ目線で、時にぼくは彼以上に楽しむ。
そんな「雰囲気」に中から、彼の中の「楽しむ」という感性が動いてくれるのを期待します。
うまくなることより、楽しむこと。
でもきっと、楽しければそのことは、上手にできるようになるものです。
好きこそ・・・・の例えどおりです。

海で遊ぶ、楽しい道具を手に入れました。
「アクアグライド」というもので、これひとつでウィンドサーフィン、ヨット、カヌーになどになる
優れものです。
ボード部分はゴムボートのようなもの。
それによく考えられたマルチパーパスのリグ部(セイル、マス、ブーム)が付きます。
ぼくは息子にウィンドサーフィンをいつかは伝えたいと思っていたけど
それが幼児には少し難しい「動作」であることを充分にわかっているし
楽しい前にイヤになっちゃうのが嫌で、珍しく一緒にやったことはありませんでした。
でもこれを見たとき、ウィンドサーフィンもどきを二人で楽しむイメージが湧きました。

まずはヨットのセッティングです。
ウィンドの場合との違いは、マストが立ったまま。
実はこれは大きい。
ウィンドのはじめの一歩は、セイルアップ。
水からセイルをロープで上げ続けることが強いられます。
これはちっとも楽しくない。
ぼくはその「ヨット」に座り、息子はその立ったままのリグに手をかけます。
実際はぶら下がったり、とび跳ねたり。
それでもセイルは倒れず、ぼくは後ろで舵を取って風に合わせますからボードは進みます。
タックする瞬間には息子を腹ばいにさせ、向きを変えたらまたぶら下がる・・・。
息子はちょっと、楽しそうでした。
ぼくはほんの短い距離でも、息子とセイリングできたことに満足でした。

楽しいことは、またやろう!・・・になります。
ぼくは息子に「楽しいこと」を、いろんな形でプレゼンしていくのが
ぼくらしい伝え方と思っています。
その中から、ある日息子の感性がピキーンと反応してくれたなら本望です。

夜、息子が呟きました。
その言葉は、最近、一日の終わりの習慣のようです。
「きょうは いいひだったねーー」
もちろん、つまらない日だったときには、その逆の言葉が出ます。

よかった、今日は楽しい日だったんだ。
ぼくもだよ。
こんどのお休みも、もっと楽しくしような。

  1. 2007/08/27(月) 07:13:05|
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「道具」がへだてる自然との距離

2007.08.18 Sat

海と向き合うとき、その「距離」についてよく考えます。
一番近いのは、裸のままの自分。
そしてサーフィンやウィンドサーフィン、そしてカヤックやディンギー
そしてセーリングクルーザー・・。
果ては大きなモーターボート。
どんどんその「道具」が大きくなると、その距離が離れてしまう気がします。
それは自分が「海」から感じる「なにか」が少しずつ希薄になるということです。

もちろん、太平洋を泳いで渡ることはできません。
そのときはセーリングクルーザーでゆくのはミニマムな選択でしょう。
そしてそれたち自体の楽しみが深くあるから、否定するもでもありません。
でも、いつも「海」との間にはミニマムなものしか置かない姿勢は、やはり大切です・・・・。

クライミングの世界でもそうでした。
垂直の壁、オーバーハングした壁もドリルで穴をあけ、ボルトを打ち込めば
登れない場所はありません。
8000mを超えるヒマラヤの高峰も背負っていったボンベの酸素を吸えば
もうそこに居る意味がわからなくなる・・・・。
そこを感じたいから、そこにいるのではないのか。
そうならば、なぜ感じられなくなるような「道具」をそこに持ち込んでしまうのか。
美しい岩の前で、無防備で謙虚でありたい・・・・・・。
そんな思いから「フリークライミング」が始まり、そして発展させたのだと信じています。
フリーであること・・・・それはいろんな「もの」から解き放たれた無垢の状態であること。
そんな状態で壁と向きあえば、それは「自然に挑む」なんてものでは決してなく
結局、自分と向き合うことになるのだとぼくは気づいたのでした。
ですから、その「山」や「壁」や「岩」を自分と向き合うための「プロブレム」と呼んでいたのです。

人の感性は繊細なものです。
ぼくのそれは、少し脆弱でもあり、ちょっとしたことで萎えてしまいます。
萎えてしまうと、殻を閉ざし、しばらく心が響かなくなってしまうことも。
だからいろんな「もの」に邪魔をされないように、いつも「シンプル」な状態を
心がけねばなりません。

「挑む」のではなく、そこに「存在」させてもらうために。
「存在」して、自分をみつめるために・・・。
自然に対するリスペクトと、自分の感性を大切にするために・・・・。

  1. 2007/08/18(土) 07:04:28|
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ライフジャケット

2007.08.17 Fri

西湖

独りでヨットに乗ることが多いぼくは、必ずライフジャケットをつけます。
これはもちろん、「常識」です。
法律で定められなくとも・・・・です。
もし、独りでセーリング中ヨットから転落し、そのまま船は自動操縦で進み
自分は海原に取り残される・・・・・。
想像したくない状況ですが、波などで不測のロールをした場合など
起こらないとはいいきれません。
海に落ちた自分は、いかに泳ぎに自信があったとしても、沖合10マイル以上から岸へ
泳いで辿りつける可能性は低い。
暖かい季節ならまだしも、水温が低い時期なら30分ともたないでしょう。
それを着けているかいないかでは、生存の可能性は圧倒的に違います。

息子と海で遊ぶとき、何か不測の事態が起こったときぼくは彼を守れるか・・・・・。
いつも考えます。
ですから、その予防のひとつとして、プール以外では彼にもちゃんと
ライフジャケットを着てもらいます。
もちろん、少し邪魔なのですが、それでも浮き輪の代わりくらいに考えて
それに慣れてもらいます。
そしてそのジャケットも、彼の体にフィットしたものであることが大切です。

犬のさくらは無類の「水好き」。
水を見れば、すぐそこへ入っていき、泳いでまわります。
ぼくがカヌーで沖へ出れば、ずっとその後を泳いでついてきます。
でも彼女は高齢。
どんなに泳ぎが好きで得意でも、心臓発作だってあるし、足が片足つっただけで溺れてしまう。
だから最近、さくらも泳ぐときにはライフジャケットをつけてもらうことにしました。

息子もさくらも、さして嫌がらずそれをつけて遊びます。
もちろん、傍にいるぼくもお手本として着けています。

西湖での水遊び中。
ぼくは息子たちの前でライフジャケットをつけたまま、桟橋から飛び込みをして見せました。
水深は1.5mほど。
ライジャケもつけてるからそんなに沈まないとふみましたが、想定外・・・・・。
飛び込み角度が急だったこともあり、すぐに水底へ。
しこたま鼻を湖底に打ちつけました・・・。
ぼくは鼻がツーンとして、少し気が遠くなり、そのままライジャケの浮力で水面へ。
幸い大事には至りませんでしたが、不測の事態はいつでもおこる・・・その身で感じました。

大好きな海、湖、川・・・・・そんな場所での悲しい事故がなくなることを願ってやみません。

ライフジャケット

  1. 2007/08/17(金) 07:00:44|
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湖の風に乗る

2007.08.15 Wed

西湖での翌日、山中湖へ向かいました。
ここはあの静寂の湖と比べ、実に喧噪です。
モーターボートが走り、湖畔には観光客を乗せたバスが行き交います。
それでも夕方になると、だんだんと静かになり
そこを渡る風の動きが感じられるほどになりました。
ぼくは通りががりのマリーナに立ち寄り、そこに置いてあるヨットを貸してほしいと頼みました。

小さなヨット(ディンギー)に乗り込み、メインシートを引けば、スルスルとそれは動きだします。
風は息をするように、強くなったり弱くなったり・・・・・。
ガスティーではありますが、小さなヨットは一度走り出せば戸惑いなく湖面を滑ります。
水面は、僅かな風紋が見て取れますが、あくまでも滑らか。
音もたてずに、小さなヨットは湖の中心に向かって、滑ります。

ぼくは、楽しんでいました。
不安もなく、課題もなく、ただ単に「セイリング」を楽しんでいました。
風の息吹きに合わせ、シートを引き、シートを出す。
そして舵を少しきったり、戻したり。
この湖をわたる風を感じていました。

いつしか頭の中をある曲が流れ、やがて口ずさみました。
それはロッド・スチュワートの「セイリング」です・・・・。

♪ I am sailing,
I am sailing home again 'cross the sea.
I am sailing stormy waters,
to be near you,
to be free.  ♪

このゆったりしたリズムが好きです。
このゆったりとした雰囲気が、今日のこの時にぴったりです。
ぼくは最初のフレーズを何度もリフレインしながら、湖の上をずっと滑っていました。

この歌は少し重い内容です。
でも、それを希望に満ちたメロディーに乗せていて暗さを感じません。
船で海をゆくとき、確かに「合う」歌です。
静かな「海」で過ごすとき、歌詞の内容を深く考えないで聞いても
とても心地よいメロディーであることを、あらためて感じました。

山中湖の夕暮れは、大きな富士山に見守られています。
小さなヨットを桟橋にかえし、シルエットになっていく富士山を見ながら
思わず至福な気持ちになれた「とき」の余韻に浸っていました。


山中湖

  1. 2007/08/15(水) 06:36:17|
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湖での夏休み

2007.08.12 Sun

西湖にて

さらさらと後ろへ流れていく「みず」は、海水とは明らかに違う質感です。
オールを漕げば、そのしっとりとした水面を静かにカヤックは進みます。
暑かった日の夕方、雲は湖を囲む緑の山の上からゆっくりと湖面へ向かって降りてきています。
先ほどまでの強い日差しは、その雲に少しずつ拒まれて、ひんやりとした風が渡ります。
ここは高原の湖、富士五湖のひとつ、西湖です・・・・・。
家族全員でキャンプをしに、ここへ来ています。
(猫は留守番です・・・)

少し前から、息子は黙っています。
後姿を見ていると、じっと山ほうを見ているようです。
時折、思い出したようにカヤックの上から手を伸ばし、水を触ってみます。
ぼくはオールの手を休めているので、カヤックは漂ったまま。
静かな湖の真ん中、息子との無言の時間。
今まで経験のない「気持ち」です。
何を感じているのだろう・・・・・。
何が見えているのだろう・・・・。

息子はしばらくして再び空を見あげ、そして振り返りました。

「ぱぱぁ・・・やま、きれいだねぇ・・・」
「そうだね。綺麗だね。緑の山に囲まれて、それが湖に映ってるだろ。」
「ぱぱぁ・・・・くもがおりてくるよ・・・・」
「うん、夕立ちが来るかもしれない」
「ゆうだちってなにー?」
「今日みたいに暑い日に、突然降ってくる雨のことだよ。雷が一緒に来ることもある。」
「カミナリ!?たいへんじゃん!かえらなくちゃ!」
「そうだね、まだ少し大丈夫だけど、帰ったほうがいいね。」

ぼくたちは湖の真ん中から、出艇したキャンプ場のビーチに向かって漕ぎだしました。

こんな時間を共有したかったのだと、ぼくは感じていました。
こんな時間が一番幸せなのだとも・・・・。
こんな時間がぼくがいつもイメージする、「すばらしいとき」です。

ほどなくして、思ったとおり夕立ちはやってきました。
ほんの30分、日中の強い日差しで乾いていた木々を、しっかりと潤して去っていきました。
そのころにはすっかりと日は暮れました。
静かに湖畔の夜は更けていきます・・・・・。

  1. 2007/08/12(日) 01:45:23|
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海に感謝

2007.08.06 Mon




暑い日でした。
ホーム・グラウンドの知多半島・新舞子海岸は、ウィンドサーフィンのレースと
そして対岸の砂浜の「山」のような海水浴客で、「夏」そのものでした。

今日はお店のイベントのキッズ向けウィンドサーフィンスクールが開催されました。
年少の子供たちから、小学生までたくさんの子供たちが参加して、嬉しいイベントでした。
子供たちが海に関わるチャンスです。
そしてそこから「海」やそこに住む生き物たちや、その先には「環境」や
そんなことに思いをよせることができる次の世代を育てるチャンスです。
楽しげな子供たちの顔を見ながら、ぼくが今温めている次にやるべきことに対して
「確信」のようなものを感じたのでした。

その後、ぼくと息子は新しい「おもちゃ」で遊びました。
それは「カヤック」です。
これは折りたたんで収納できる「フォールディング・カヤック」というものです。
基本的には二人乗り、子供となら三人だって可能です。
悪戦苦闘しながらもなんとか組み立てて、いざ海へ・・・・。

ウィンドサーフィンには少し怖じ気づいてしまった息子ですが
このカヤックは例のゴムボートと同類。
不安なく乗っています。
少し漕げばすぐ海原に出られます。
沖合から「陸」を眺めることができるのです。
ぼくたちはしばらくの間、沖合いの散歩を楽しんだのでした。

息子は少しづつ、海との関わりを増やしています。
海に行くことが普通になりはじめています。
ゴムボートでも、カヤックでも、そしてワカメ拾いでもいいのです。
自然の原点である海との関わりを、楽しく遊びながら深めていくことで
きっと彼の中に深い何かが残る気がします。
そして同時に、ぼくにも「海」があらためていろんなことを教えてくれています・・・・。

今日は多くの友人に海で会うことができて、それが嬉しかった。
ウィンドサーフィンからはしっかりと引退してしまったけど、こうしてそのころの友人と
「海」で繋がっていることが嬉しい。

いろんな意味で、「海」に感謝です。

  1. 2007/08/06(月) 01:28:06|
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